2018.07.07
つい先ほど、母がお世話になっている特別養護老人ホームからお電話を頂いた。
話しに入る前に、母の現状とわたしの普段考えている事を確認してもらいたい。
母は完全寝たきりで、言葉を発する事も出来ないし、首を振るなどの態度で意思を表現する事も出来ない。つまり、全く意思の疎通が出来ない。また、嚥下機能の問題を来し、現在は「胃ろう」と呼ばれる、胃に開けた穴から管を通じて栄養を送り込むのが、母の食事と言うわけだ。
息子のわたしの心に長らく引っ掛かっている事は、この「胃ろう」による延命を選んだのが正しかったのか?と言う事です。母が脳梗塞を起こした時に、言い方はもっとソフトだったかも知れないが、意味的には「このまま処置をしないで死んでいくのを待つか、『胃ろう』の手術をするか決めてほしい」と言うものだった。
母は脳梗塞前に、すでに要介護5の認定を受けていたが、身体は不自由でも食事はスタッフの方が口から食べさせてくれていた。味も認識出来るようで、表情によって「美味しいとか思っているだろうな」ぐらいは見て取れた。
ものの本によれば、突き詰めるところ人間は「性欲」「睡眠欲」「食欲」が3大欲求との事…一度は手術を見送り、母の寿命を終わらせる決心をしたのだが、周りの方の説得もあり、「胃ろう」を選んだ。
もう母は食べる楽しみが無い。意志の疎通も出来ないから人とのコミュニケーションもない。息子のわたしを見ても、何も起こらない…身内だから言うけど「これで生きている意味があるの?」と言うのが、わたしの心にいつも引っ掛かっている。
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前ふりが長くなりましたが、今日のテーマは「施設から母に『綿あめ』を一口二口食べさせる提案を頂いた」でお送りします。
施設で毎年この時期に「夏祭り」なるものが開かれます。いつも入居者が食事をする大食堂に祭り風に出店を模して、お祭り気分を演出します。
聞くところによると、母も毎年車いすに乗せて頂き、その場の雰囲気を楽しませてもらっているとか…まぁこれは事実はわかりません。意志の疎通がないので、母の頭の中でどう捉えているかは謎です。
ただ今回は、世話をして下さっている看護師さん・介護士さんから、「母に綿あめを一口二口味わってもらっては如何か?」と言う提案が、現場から事務方に上がってきたそうです。
家族・息子として…
「ありがとうございます」しかありません。
わたし実は調理師なんですが、人間が美味しく感じるのは基本「あぶら」と「糖質」だけです。いろんなプラス要因はもちろんあるんですよ、食べる相手とか音楽とか温度とか…これはかなり多くあります。
でも基本はこの二つなんです。一つでも美味しいし、二つだとすごく美味しい…
代表例だと、お寿司ですね。魚の生の切り身が「あぶら」でしゃりが「糖質」です。
だから、お寿司は美味しいんです。
話しが脱線しましたが、母の味覚は多少残っていると推測されます。まず、誤嚥性肺炎を起こさないために、とろみをつけた炭酸水などで、しばらく慎重に飲み込む練習を看護師さん・介護士さん立ち合いのもとやってくれるそうです。
はっきり言って手間がかかります。やろうと現場から言って頂いた事に感謝しかありません。で、見込みがつけば「夏祭り」で、綿あめをほんの少し、舌の上で溶ける程度の量を含ませてくれるようです。
母にとっては何年かぶりに、「甘さ」を感じる事でしょう。脳の機能がどれほど残っているかは、わたしには分かりませんが、もし味覚を感じる機能が残っていれば、久しぶりなだけに、かなりのセロトニンが出て母が幸せを感じてくれたら、こんな嬉しい事はありません。
また様子を聞かせて頂ける事とおもいます。
では、また明日です。 by Oshobu~
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