
2026.04.19
こんにちは。おしょぶ~^^/です。
いつも読んで頂きありがとうございます。
今回の記事では、タイトル通りなのですが「介護の道も一歩から」を書き始めて10周年を迎える事が出来ましたので、ご報告致します。(正確には4月2日で10年)
ブログを書くと言う意味でも、このブログが初めてでしたので「ブログ生活10周年🎉」です!おめでとう俺w (#^^#)
ここまで続けて来れたのも、プライベートでは相方・従兄弟のさとピー・親友のやまピーが心の支えになってくれたのと、何と言っても「読者様」のおかげです。
本当にありがとうございます。
※合わせて読みたい↓
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上に貼ったのは、わたしが初めて書いた記事です。
改めて読んで笑ったしまったのは「このブログは私の介護経験から、今介護で疲れている人・これから介護が待ち受けている人への応援ブログです」なんて、偉そうな事を書いている事ですw
まぁ、広義ではウソではないのですが(笑)、実際は介護に自分が追い詰められて「ストレス発散の為の吐き出し」で始めたんですよね。
なんせ始めた時には、キーボードもまともに打てないレベルのブロガーでしたからw
この十年色んな事がありました…
ブログを書き始める以前の話もさせて下さい。
わたしは広島に単身赴任中で、居酒屋チェーンで店長とか調理長とかをやっておりましたが、ある日ケアマネージャーから手紙をもらいます。
内容は「もうご両親二人での生活は無理なので、息子さん帰って来て下さい」と言うものです。
まだブログも始めておりませんので、資料として保管しておく習慣が無く、手紙は残っていないのですが、文章には「ニュアンス」と言うものがありますよね?
それは…
●帰って来る事は可能ですか?
●もう無理なので帰って来て下さい。さもなければ大変な事に…
(*'ω'*)赤色のニュアンスでした…
居酒屋と言っても、上場しており大きな会社でしたので先ずは大阪の店舗に転勤と言う形で、神戸に帰って来ました。
でも、無理でしたね(苦笑)。大阪に通い(しかも居酒屋は長時間労働で深夜勤務)ながら、介護をする事に対応出来ず「このままでは共倒れする」と介護退職をして、専業介護生活に入りました。
その後、介護をやりながら出来るマンション管理人のバイトを見つけて、ブログも書き始めた流れです。
まだ歩けていた母が寝たきりの要介護5になったのに、施設の順番待ちが当時は酷くて入所出来ず、日に日に認知症が進む父とのダブル介護で、よく「介護殺人」や「介護ネグレクト」など事件を起こさず過ごしたな!と思い起こします。
少なからず、このブログ「介護の道も一歩から」を書きながらガス抜きが出来ていたのも要因だと、今は自己分析しています。
その後、母が施設に入所・父のデーサービス利用などで時間をつくり、バイトとは言え週5~6日マンション管理人として過ごす毎日で大変でしたが、自宅ダブル介護を思うと天国でしたねw
2019年に母がもう長くないと言う事になり、母をしっかり見送る為に再び介護退職を選びました。もう、社会的・会社的キャリアなんて世界には住んで居なかったので、しばらくの間のお金の段取りだけつけて、あっさり無職になりましたw
同年9月に母が亡くなりました。
読者様には「冷たい息子」と思われるかも知れませんが、悲しいより「ホッとした」が正直なところでした。
上でも書きましたが、この介護生活が事件に発展する様な最悪な状況を回避出来て、息子として最低限ではありますが、母をちゃんと見送れたと言う「ホッ」ですね。
参ったのは、しばらくの間母が死んだと言う記憶が定着しない父は、朝起きて母の祭壇を見て必ずわたしを問いただし、母の死を聞くとわぁんわぁんと泣き散らすのです。
3か月ほど続きましたね…
その後は、中々施設が決まらない「認知症の父との戦い(笑)」ですよ!
まぁ、息子に色々言われるのが腹が立つのでしょうね。
包丁やハサミを振り回された事は10回では収まらないですね。
高齢とは言え男性ですし、向こうは本気ですから…こっちは、父をケガさせない様に対応するのでわたしの方が若くて体力が有っても、常に劣勢です。
父の体力が無くなるまで・父が怒っている理由を忘れるまで我慢するのです。
そんな日々が続く中、わたしが大腸がんを罹患します。
ただ助かったのが、父の施設が決まった後だったのでスムーズに入院・手術に進めた事ですね。もし自宅介護中だったらと思うと、恐ろしいです。
もっと細かく書きたいけど、書き切れない!(笑)
この辺で止めておきます。ココまで読んでくれた方に感謝です。
また気持ちも新たに書いて行きますので、今後も宜しくお願い致します。
では、また次の記事でお会いしましょう^^/