2018.11.30
今日のテーマは「コラムニスト勝谷誠彦さんの命を奪った鬱とアルコール!」でお送りします。
筆者は亡くなられた、やしきたかじんさんのファンでした。そのたかじんさんがMCをやっていた「そこまで言って委員会」でよくゲスト出演をされていたので、勝谷誠彦さんも知っているぐらいの感覚です。
今回は、上記の記事を参考に書かせて頂きます。
わたしが勝谷さんにもっているイメージは、けっこうイケイケ!な人…まぁ「弱」と「強」なら強のイメージです。
しかし、2015年にちょっとびっくりするような事があったんです。その頃よく買っていた雑誌「SAP!」の巻頭コラムを書いていた勝谷さんから、「鬱になった」と誌面上でカミングアウトがあったからです。
正直な感想は、勝谷さんみたいなタイプの人も「鬱」になるんや~と言うものです。2016年からこのブログを始めて、関連として「介護鬱」について勉強したりで、鬱って…本人がみせる普段のパーソナリティとは関係なく「誰でもなる可能性」があると今は理解していますけど…
さて、話を上の記事の内容に移らせて頂きます。
この記事は、勝谷さんが生前毎日書いていたメルマガの配信元である、株式会社世論社・代表取締役高橋さんへのインタビューが基になっています。
勝谷さんの鬱は半年くらいで回復したものの、全体的に精気が無くなり、酒を飲む時間が延びていったそうです。
これって、本当に治っていたのでしょうか?酒を飲む時間が長くなる=現実逃避する時間が長くなると同意の様な気がします。(もちろん素人意見です)
高橋さん曰く、その後のメルマガで配信するコラムの切れ味が落ちたそうです。このコラムなんですが、毎日5000字の配信と言うことで、筆者も一応ブログを書いているので5000字を毎日書くってすごく大変なのは実感で分かります。
しかも、勝谷さんのは会員制有料コラムですから、内容の出来が求められるので尚更大変でしょう。心身共に健康でないと良いものは書けないのではないでしょうか?
2018年8月に配信されたネット番組に出演した、勝谷さんの顔から確認出来る「黄疸」が酷かったようです。
嫌がる勝谷さんに、強く勧めて検査を受けさせたそうです。8月21日、勝谷さんは病院にマネージャと訪れ、そのまま緊急入院になりました。その前日のエピソードとして…
「20日夜。私は勝谷に呼ばれて近くの呑み屋にいったとき、勝谷は10錠ほどもある薬を日本酒で流し込んでいた。」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54813
と、高橋さんは書いています。これ入院の前日なので、何の薬か?気になるところですが、読み取れませんでした。
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検査の結果は、あと1~2日遅れていれば「絶命」も有りえた、、「重症アルコール性肝炎」「劇症肝炎」の診断だったそうです。
この時の症状ですが…
- 肝臓が通常の5倍ほどに膨れていた
- その肝臓は、他の臓器を圧迫し、腎臓は半分程度の動きしかしていない
- 心臓も弱わり・骨もすぐに砕けてしまうレベル
肝臓ってもともとすごく大きい臓器なので、それが5倍とは…ただ、ここでは勝谷さんは回復して行くんです。癌や合併症が無かった事が良かったようです。
幸い10月に退院できたのですが、ここからがいけない…
「もう一生飲まないよ」と言っていたのに、退院したその日からコンビニに酒を買いに行っていたそうです。まぁ、完全に依存症ですよね。それを、周りの人に見られたくないので次第に自宅に誰も入れなくなったそうです。
それでも、周りの人を飲みに誘ったりしていたそうです。当然、周りの人は断るわけで…ここで拗ねる本人の図、つまり孤独になっていったのではないでしょうか?
その後のコラムは、どんどん壊れて行き10月19日のものは、ほとんど暗号としか思えないようなもので、高橋さんの判断で休載となりました。
周りはアルコール依存症治療の施設への入所を検討していたようですが、「肝臓に疾患があり・本人が絶対に自分は依存症ではないと言い張っている状況」ではなかなか入所させてくれる機関は無かったようです。
この状態でも、自分は依存症ではないと本当に思っているとしたら、完全に心が病気に侵されていると言う事でしょうね。この頃、慶応大学病院に再入院をしているのですが、病院から連絡が来て病室から酒の空き瓶が大量に見つかったと伝えられたそうです。関係者一同大きなショックを受けたと…
11月23日辺りでは、失見当識というアルコール性の認知症のような症状が進み、自分が置かれている状況を正確に把握できないところまで来ています。そして、28日午前1時48分・勝谷誠彦さんは亡くなりました。57歳…直結の死因は急性肝不全でした。
週刊文春の元編集長で勝谷さんの上司だったこともある花田紀凱さんも、「治せたのに残念だ」と言う意味合いの事を言っておられました。筆者も記事を時間軸で読み返して、戻れるチャンスはあったと思いましたので、非常に残念です。
ご冥福をお祈りいたします。
では、また明日です。 by Oshobu~
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