2016年10月20日
おはようございます。
今日のテーマは「相模原障がい者施設殺傷事件、その後の検証とこれから⑦」でお送りします。今日からお越しの方はぜひ①からお読みください。
さて。事件から熊谷先生が少し病んだと言っていいのかわかりませんが、社会の信頼の底が抜けたと言う感覚は十分理解出来るところです。
また、容疑者が施設の元職員であった事が、さらに先生(障がい者)を苦しめているようです。今から書くことは障がい者にしかわからない感覚かもしれません。
【全てをあずける立場】
考えるのは、障がい者と介助者の関係性です。
障がい者にとって、介助者のサポートなしには生活はまわりません。
それは、見ず知らずの人にシャワーを浴びたり、着替えをしたり非常に無防備な一面を晒す事になります。
例えば、ここで熱湯をかけられたり、本気で暴力を振るわれたら成す術も無いと…
※うん。本当ですよね。この立場にならないとわからないけど、確かに怖いですね。
この脆弱な関係性をどうするか、これに先輩たちが苦心してきたとのこと。
【ボランティアか仕事か】
昔は全てボランティアです。で、先生はこの頃の若い介助者は何か政治的なイデオロギーみたいなものをもっており、議論を求められ寝かしてくれないような邪魔くさい面はあったものの、モンスター性はなかったと書いています。
しかし今は、職業となり「何を考えているかわからない」人が増えたそうです。
もちろん、そんな人ばかりではありませんが…
社会的意義が高い職種として望んできた方と、選択肢の一つの職業として来た人ではおのずと違うでしょうね。
※でも、職業として発展したから途切れないサービスも実現出来るわけで、難しいですね。
特養で、施設職員が老人を三人突き落とした事件もありましたね。職員としての 適正を計って雇用出来るシステムがいりますけど、イメージ出来ないな。
寄稿はこの他、被害者の匿名報道の背後などにも触れていて、大変興味深いものとなっておりますので、興味のある方はぜひ「世界」で先生の寄稿文を読んで頂きたいです。
まだまだ、書きたい事はいっぱいあるのですが、この手の話題があまり長く続くと読み手も疲れますので、いったんこのシリーズ今日で終わります。
また、間を置いて書きたいと思います。
では!by Oshobu~