2016年10月19
おはようございます。
今日のテーマは「相模原障がい者施設殺傷事件、その後の検証とこれから⑥」でお送りします。
さて、シリーズ第6弾です。今日からお越しの方はぜひ①から読んで下さい。
【事件後の生活で感じる事】
熊谷晋一朗さんの「事件で社会に対する信頼の底が抜けた」と感じた話の続きです。
その感情を持ちながらも、当然ですが事件後も障がい者の日常は続くわけです。
例えば、車いすで混んでいる電車に乗り降りする時、舌打ちされたり睨まれたりする事があるそうです。
普段なら「これは当然の権利だ」と乗り越えられるのに、事件後はフッラッシュフォワードと言うか襲われたりしないかと言う思いが頭に浮かび、思いの外怯んでいる自分がいると書かれています。
※まず、東京ってやっぱり冷たいの?と思った。関西なら心で思ってる人はいても車いすの方に舌打ちするかな?しないと思う。(常識ある東京の人、ごめんね)
意識から直せるのが一番だけど、せめて態度に出さない大人であってほしい。
あとフッラッシュフォワードは、物語に未来の出来事を挿入するみたいな意味らしいので、先生が事件後、自分が襲われるって言う未来の話を頭の中で作ってしまうようになったのでしょう。
確かに社会から、こう言う感情を感じるようになると「生きていてよい」と言う思想を仲間と確認したいと思うのは当然ですね。罪深い事件です。
【障害に対しての医学モデル・社会モデル】
熊谷先生曰く障害に対して大まかに言うと、医学モデル・社会モデルの二つの考え方があるそうです。障がい者側(個人)を変えるか社会を変えるかです。
「医学モデル」
集団の価値を優先して、リハビリや治療で障がい者を改造して社会に適応さす。
「社会モデル」
障害は個人ではなく、社会に宿ると言う考え方で、障害むき出しのままで生きて良い、むしろ多様な個人を包摂するものへと社会をかえる。
この医学モデルの「改造」、社会モデルの「障害むき出しのまま」は寄稿で先生使った表現のまま書きました。何か気持ちが入っているような、ご自身が障害をもっている立場だからこそ出た言葉ではないかと思ったからです。
で、先生の立場なら社会モデル支持です。実際社会はそう動き出したところで、この事件のおかげで時間が逆行してしまう不安が先生を襲っています。
では、今日はここまで!